テレビ番組「1番だけが知っている」に出演して話題を呼んだ、多重人格者のharuさん。
現在は10人の人格を持っていると言われていますが、haruさんが多重人格者になった原因は何だったのでしょうか?
家族関係や性別の悩みが幼少期からあったというharuさんの生い立ちにも迫って、多重人格の原因について探っていきたいと思います。
多重人格者haruは解離性同一性障害
haruさんは現在23歳。
保育士、塾講師、SEの仕事を掛け持ちしながら、通信制大学に通い社会福祉士を目指しています。
戸籍上の性別は女性ですが、男性として生活しています。
haruさんは、高等専門学校3年生のとき、「解離性同一性障害」と診断されました。
<解離性同一性障害とは?>
解離性障害は、自分が自分であるという感覚が失われている状態。例えば、ある出来事の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、まるでカプセルの中にいるような感覚がして現実感がない、いつの間にか自分の知らない場所にいるなど、様々な症状があります。
こうした中で、自分の中にいくつもの人格が現れるものを多重人格障害(解離性同一性障害)といいます。
ある人格が現れているときには、別の人格のときの記憶がないことが多く、生活面での様々な支障が出てきます。
(引用:構成労働省HP)
このような症状は、haruさんが3歳くらいの時から始まっていたと言います。
この解離性同一性障害となる人は、幼少期に強いトラウマやストレスを抱えている人が多いことが特徴です。
haruさんはどのような幼少期を送っていたのか、次に見ていきましょう。
haruが多重人格者になった原因は?
haruさんの幼い頃からの多くの「生きづらさ」を感じていたようです。
haruが多重人格者になった原因①:生い立ちや家族関係
haruさんは小学生の時期に両親の離婚と父親との死別を経験しています。
忙しくてなかなかharuさんと過ごす時間がない母親。
haruさんは自分の思いを人に伝えることが苦手だったのかもしれません。
その結果、自分の感情を吐き出す場所として、「別人格」が形成されたのでしょう。
haruが多重人格者になった原因②:性別の悩み
haruさんが「生きづらさ」を感じていたもうひとつの原因は性別違和でした。
下記にharuさんが幼い頃から感じてきた、性別への悩みについてまとめてみました。
・3歳くらいの頃から脳内に「自分ではない人の声」が聞こえていた。性別違和も感じていた。
・6歳の時に赤いランドセルが嫌でお腹を切ろうとした。
・中学卒業後、高等専門学校へ進学(女性もズボンが履ける学校を探した)
・思春期にさしかかり、性同一性障害の診断を受ける。ホルモン療法を受け男性として生活するようになる
・19歳で性被害を受けて自殺未遂を図る
・22歳の頃人生に不安を感じ、自殺未遂を図る
こうやってharuさんの人生をみていくと、特に性同一性障害が大きなストレスとなっていたことが伺えますね。
まとめ
多重人格者になった原因となる、haruさんの生い立ちについてご紹介しました。
現在では、全部で10人の人格が存在しているというharuさん。
きっと幼少期から繊細な子どもだったのでしょう。
メディアに出るのはとっても勇気がいることです。
中には、嘘っぽい演技だ!と誤解されることもあると思います。
それでも発信し続けているのは、同じような障害で悩む人を応援したり、世の中の理解を広げようという志があるのかもしれませんね。